PROFILE
福谷正人のこれまでの歩み

昭和43年 敦賀市生まれ
昭和55年 敦賀市立粟野小学校 卒業
昭和58年 敦賀市立粟野中学校 卒業
昭和61年 敦賀高校普通科 卒業
昭和62年 大阪建設専門学校 卒業
平成02年 市内の設計事務所に勤務
平成09年 一級建築士資格取得、「D.S設計室」を開業
平成10年 有限会社福谷建築店の代表取締役に就任
平成19年 和久野子ども会 会長
平成23年 敦賀市議会議員 初当選
平成23年 敦賀市立粟野中学校 PTA会長
平成23年 粟野地区子ども会育成連合会 相談役
平成25年 福井県立敦賀高等学校校 PTA会長
平成26年 福井県立敦賀工業高等学校 PTA会長
平成29年 NPO法人 Club Green 理事
<家族構成>
妻、長男、次男、長女 の5人家族
<趣味>
トランペット
<議会歴>
議会運営委員会 委員長
総務民生常任委員会 委員長
敦賀市公立大学設置特別委員会 委員長
原子力発電所特別委員会 委員長
嶺南広域行政組合議会 議長(R1.8~R3.7)
敦賀市議会 副議長(H30.6~H31.4)
敦賀市議会 議長(R4.6~R4.12)
<資格>
一級建築士
震災復旧のための震災建築物被災度区分判定・復旧技術者
福井県木造住宅耐震診断士
社団法人 日本防犯設備協会 防犯設備士

子どもたちが「この街で生きていきたい」
と思える場所を作ること。
それが私の信念です。
私の3つの原点
1、PTA活動からスタート
私には長男、次男、長女の3人の子供がいます。
子供の行事には常に参加し、子供会の会長、PTA役員、PTA会長を務めてきました。
「ずっとやっているから良いのではなく、本当に良いものに変えるべきだ」という考えのもと、会議でも遠慮せず意見や提案を行ってきました。
そんな私の姿を見て、当時のPTAの役員の方々から「それだけ言えるなら敦賀市のために前に出て発信してみたら?」と言っていただけたことが私のスタートです。
2、奉仕活動から感じたこと
きっかけは「ソフトボールチームに入らないか?」と誘われ、経営者奉仕団体のライオンズクラブに加入したときです。
掃除、ゴミ拾いをはじめとする奉仕活動を続ける中で強く感じたのは、「敦賀に元気が無いな」ということです。
経営者仲間の話の中でも景気の良い話がなく、これは街をなんとか元気にしなければいけないという思いが募りました。
3、東日本大震災で感じた使命感
市議会議員に立候補したときに私が背中を押されたのは、東日本大震災の衝撃もありました。
敦賀市には福島第一原子力発電所と同じ炉型の発電所があるので、私たちの敦賀市も原子力発電所と安全に共生できる環境づくりをしていかなければという使命感が強くなりました。
< 代表的な活動実績 >
1、敦賀市文化芸術及び科学技術活動優秀賞の設立

従前よりスポーツ部門での優秀者表彰はありましたが、文化芸術及び科学技術部門での表彰はありませんでした。
そこで、上記部門で優秀な成績や秀でた成果を上げた子ども達に対し、その功績を称えるための表彰制度の設立を提言。平成28年度に表彰制度が新設されました。
その後、毎年個人や団体が表彰され、子ども達の活動のモチベーションにも繋がっています。
2、敦賀市手話言語条例の
制定

令和2年9月議会で、敦賀市聴覚障がい者福祉協会より提出された敦賀市手話言語条例(仮称)の制定を求める請願の紹介議員となりました。
敦賀市に対して手話言語条例の早急な制定を求め、令和3年3月議会で敦賀市手話言語条例と、敦賀市障がいのある人の情報取得・コミュニケーション支援に関する条例が、県内で初めて同時制定されました。
3、市道公文名1号線消雪施設の早期着工

地元からの要望があり事業化はされていたものの、なかなか着工することが出来ていなかった市道公文名1号線の消雪施設。地元区長の方々の協力の元、市と協議を行った結果、令和元年より予算がつけられ、工事が開始されました。
道路が長いため、完成までにはまだ少し時間がかかりますが、完成すれば降雪時に安心して通ることが出来るようになります。